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沖縄復帰47年

5月15日(水)

 

朝、8時起床。 5時過ぎにトイレに起きてから、二度寝できず寝不足気味。 有機人参ジュース一杯。 「なつぞら」、朝の部。 晴天下、薄手のブレザーを着て、バスに乗り駅。 区間快速で10時半に神保町。

 

『反差別』本の原稿をパソコン画面で校正しながら読み進める。 「なつぞら」、昼の部を見ながら、さつま揚げ入り自家製野菜サラダ+おにぎり一個で、昼食。 昨日、明治大学の学生にもらった、明治大学特製の洋菓子を食す。 袋に入った一つ一つに“明治大学”の焼き印が押してある優れもので、美味しい。

 

今日は沖縄が本土復帰してから47年目にあたる。 日本国土の0・6%を占めるに過ぎない沖縄に、国内米軍基地の70%が置かれている。 

※米軍基地の推移 〇1952年・サンフランシスコ講和条約→沖縄10%、本土90% 〇1972年・沖縄返還→沖縄50%、本土50% そして、○2019年現在→沖縄70%、本土30%。 沖縄に基地が集中した大きな理由に、本土での米軍基地反対・撤去闘争がある。

 

沖縄縄問題とは、「膨大な米軍基地の存在として現象している沖縄県民(琉球民族)に対する民族差別問題」。 昨年8月にジュネーブで開かれた、人種差別撤廃委員会の日本に対する勧告の中でも、沖縄問題は民族差別と強調している。 辺野古の海を埋める強権に怒!

 

ペリーが黒船を率いて浦賀に来たのは、1893年。 その前に琉球・沖縄に寄港していたことはあまり知られていない。 1854年には、琉球王朝とアメリカの間で、琉米修好条約が 翌年にはフランスと琉仏修好条約が、そして1859年にはオランダと琉蘭修好条約が結ばれている。 

 

当時琉球は中国と日本に朝貢はしていたものの、諸外国からは独立国家と認識されていた。日本がアメリカと日米修好条約を結んだのは、1858年。 そして、1879年暴力的に猯圧綵菠“が行われた。 沖縄が独立した民族国家であった歴史的事実は消せない。

 

日光浴を兼ねて、15分間散歩。 陽を浴びると安眠できるらしい。 引き続き原稿を読んで、5時に本日打ち止め。 直行電車で駅。 パルコフードマーケットで買い物をして、気温20度、バスに乗り6時半に帰宅。 

 

BS日テレで、巨人vs阪神戦。 テレビを付けたら、すでにエース菅野が打たれ、2回表で3対0。 5点差に開いたところで、夕食が不味くなるのでチャンエンルを替える。

 

5割引きのヒラメの板を切って、白ワイン2杯。 ホタルイカ大盛りのスパゲッティ―をシークヮーサー入り鉄瓶焼酎のお湯割りで、結構贅沢なディナー。

 

テレ朝、報道ステーション。 アメリカを目指す、南米とアフリカから脱出してきた難民。 EU各国の極右台頭と相似形。 NHK、「歴史秘話ヒストリア」。 チャップリンと5・15事件。 日本人秘書・高野(こうの)がいたことは知らなかった。

 

「なつぞら」夜の部を見て、ストレッチ。 12時に就寝。

author:小林 健治, category:政治, 08:33
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